その中でも森山栄之助はオランダ人より正確できれいなオランダ語を話す、と出島のオランダ人も舌を巻くほどの語学の才能の持ち主でした。
一方、アメリカは日本がオランダと清とのみ交易していることを知っていたので、オランダ語の通訳、中国語の通訳を各々1名ずつペリーに同行させていたのです。
実は森山は英語も一応話せたのですが、国の行方を決める重要な会談なので翻訳の正確さを期すためオランダ語でやることになったというのが理由でした。
ただ、雑談ではペリーらと英語で直接会話していたそうです。
このペリー来航の5年ほど前に、ラナルド・マクドナルドが北海道(当時、蝦夷)の利尻島に漂流民として流れ着きます。
彼は以前から日本にあこがれていて、乗っていた捕鯨船が日本近海まで来たときに、漂流民を装って船から離脱したのです。
森山は長崎に護送されてきたマクドナルドに出会います。熱心にメモを取って日本語を覚えようとするマクドナルドを見て、英語を教授してもらうことにしたのです。
小説ではここからの経緯が興味深くおもしろいシーンです。
森山がマクドナルドのメモを見ると、例えば次のような英語と聴き取ったり教えてもらった日本語が対比して書かれていました。
Ears Memee
Mouth Quich
Water Meze
Hair Kamee
Hand Tae
Head Adame
Paper Kame
Pen Fude
Lantern Andon
Tea cup Cha wan
Thank you Aringodo
全く未知の外国語で何の参考書もないのですから聞こえたままをメモしたようですね。
PenがFude(筆)やLanternがAndon(行燈)なんてその時代ならではです。
このメモから、彼が頭をさげて「アリンゴド」と言っていたのは礼を言っていたということに森山は気づきます。
彼の勤勉さに感心してGoodと言うと、マクドナルドは日本語で何と言うのかを聞いてきました。
「良か」と森山が答えるとマクドナルドは紙に「Youka」と書いたそうです。
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