前回のブログは通訳や翻訳に関する話題でしたが、それに関連するような小説を読みましたので今回はそのトピックを。
1853年にペリーがアメリカから軍艦を連ねて来航し開港を迫ってきたことは歴史の授業で習いました。
「来年、ええ返事期待してまっせ」と去っていき、ペリーは翌年再来日します。
このペリー来航時や前後のできごとを、交渉時に首席通訳を務めた森山栄之助という人物を軸にして書かれたのがこの小説です。実話で、出てくるのは実在の人物です。
著者がもう一人スポットを当てた人物が、森山に英語を教授したラナルド・マクドナルドというアメリカ人です。
ペリーが来航する以前からアメリカ船は日本に頻繁に来ていました。それらは捕鯨船です。
石油が発見されるまで、灯火や機械の潤滑油などには鯨油が使われていました。アメリカやイギリス、フランスなどは盛んに大西洋で捕鯨を行い、そのうち乱獲で鯨が激減したため太平洋に進出してきます。
捕鯨船は鯨が多く回遊する日本の近海にまで来るようになったのですが、その際に日本に立ち寄って食料、飲料水や薪などの物資の補給を要請してくることがありました。
鎖国政策をとっていた江戸時代の日本でしたが、外交問題にならないよう物資を与えて早々に出て行ってもらっていたのです。
さらに捕鯨船の難破で船員が漂流民として日本にたどり着くこともたびたびありました。彼ら漂流民も雑に扱うわけにはいきません。
まず長崎の出島まで護送し、貿易相手国だったオランダの船に乗せて第三国経由で本国に送還していたのです。
また中国(清)ではイギリスとの間でアヘン戦争が勃発したのもこの時期、1840〜1850年代です。
イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの強国がアジアに食指を伸ばしていた時期で、江戸幕府も欧米の脅威を感じ始めていました。
以上がこの小説の時代背景となります。
そうだったのか〜と読んで初めて知ったことがあります。
ペリー一行との交渉は当然英語だろうと思い込んでいたのですが、実は(英語―オランダ語―日本語)とオランダ語を介して行われたのです。
長崎でオランダ相手に交易していた日本にはオランダ語を話す通詞(通訳)が元々いました。
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